南三陸町もこの大震災で町として大きな被害を受けたと聞いている町でした。 東北の町はみな、海に面しているので、いつも山から町に下るよう様な形で入ります。ここは小高い場所で町までまだ下り坂があるのですが、かなりの被害。家が倒れ、2つに割れています。
丘を下って、破壊された町の中に入ると、町中を流れる川がありました。この川の中に、転覆した車が見えるます。奥には、堤防が決壊して土嚢が積んであるのがわかります。
一番の注目は、水面の高さです。これは、川の水の高さではなく、海水の高さです。 相馬市と同様、地盤沈下をしたと思えます。車のラジオの東北放送でも、海水満潮のための警戒情報を何度も放送していました。
町民アリーナの中です。被災した方々は、体育館の中かと思いましたが、外のフロアが使われていました。中は、食事、物資倉庫、医療施設などに使われていました。
この写真のように、ダンボールで仕切られ、それぞれのところで寝泊りされています。このようなダンボール仕切りの方式は、阪神大震災のときに考案されました。しかし、長期間となると、ストレスが増しそうです。
医療スタッフが、きりきりまいの状態で、健康管理をしていました。 ちょうど、私がここへ来ているときに、三陸町の小学校で、東北の被災地の中で一番遅い入学式が行われたと、ラジオニュースが流されていました。
高台の手すりを見ると、どこまでの高さのものだったかがわかります。
この八幡神社から見下ろした風景です。
いかに広範囲に被害が及んでいるかということが、わかるかと思います。 従来の自然は、なんともなかったかのようにというのが、わかりますでしょうか。
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