「世界に一つだけの花」


先日、美浜町での野外コンサートの後、農と食の先達とともに近くの畑を見学させてもらった。途中の土手で食べごろのツクシを見つけ、何年ぶりかで夕餉の一品分をいただいた。

少し行くと、田園地帯になり畔道にぽつりとピンク色の花。そのむこうには薄紫色の花。
レンゲとスミレだった!!
どちらも何年ぶりかに見て、胸をなでおろした。

そして、先日ある身近なエコロジーを考える集まりでの話を思い出した。「私の悩みは皆さんとは違って、とっても小さなことなんですけど、」とこう彼女は切り出した。今、常滑ではいたるところで各種の工事が進んでいて、宅地造成や道路工事が家のすぐ近くまで迫ってきた。気がつくと、池が数ヶ所つぶされ物言わぬ生き物たちが住みかを追われ命を奪われているではないか。その光景は子どもたちの目にもふれる。親子で見かねて家で飼ってはみたものの、まずドジョウが死に、他の生き物たちも次々に絶命していったという。


更に、工事がハルリンドウの群生地に迫っている。水辺の生き物のときのように安易に”保護 ”をする気になれないしどうしたものかというのだ。居合わせた人たちは、とりあえず庭にでも移植して、とお願いするより他なかった。

そういえば、以前こんな話が小学校の国語の教科書にのっていた。頃は第二次世界大戦、戦争が激しさを増し、体の弱い父親にまで赤紙が届く。物のない時代を反映してか、娘の片言は「一つだけちょうだい」だった。そして、いよいよ出征の日、父親は見送りの駅で泣きじゃくる娘に駅の片隅に咲く1輪のコスモスを差し出す。…今西祐行の「一つの花」という作品だった。

突然思い出したこのシーン、そうだ!!今年から私たちのメンバーの集まりの最後に何か歌を歌いたいという声があがった。そこで、3月、最初に歌ったのは「世界に一つだけの花」だった。五十路に近いメンバーの一人が「難しいなあ」と訴えるとすかさず、選曲者のMさんが「この歌は元々は自分という個性を大事にしようという歌だけど、今や時代の反戦歌となりいろいろな集会でも歌われているそうよ。作者の槙原敬之も人生紆余曲折があったでしょ。これくらいの新しい曲に挑戦しなくっちゃぁボケちゃうよ。」と解説してくれた。

日々何かと気ぜわしいオジサン・オバサン世代もこのゴールデンウィークには身近な、できれば野の花々に目を留め足を止めて、来し方と行く方を見定めてみよう。そして、子どもたちと共に歌える、新しい時代の平和の歌も歌ってみようではないか。



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