春号あちこちぶらり知多半島 (1)   

 

今回の“あちこちぶらり知多半島”は、知多半島の海外交流にスポットを当ててみたいと思います。
中部国際空港の開港、「愛・地球博」の開催により知多半島も世界各国に知名度が上がり、グローバルな交流の話が多く聞かれるようになりました。
随分昔から、四方を海に囲まれた知多半島は、海路による国内各地との交流があったようです。
特に、常滑焼きは12、3世紀に全国に流通し、知多の海運の基盤はこのころから形成されたと考えらています。
また、江戸時代になると人口が増え、大阪と江戸の間の物品の往来も多くなり、菱垣廻船、樽廻船と呼ばれた千石船が行き交い、その中間に位置する伊勢湾も益々海運が盛んになりました。
しかし、日本は1640年頃から1854年までの約200年間、鎖国を実施し、海外との窓口を長崎一港に絞ったのですが、図らずもその間に海外と交流し、文化を残した知多半島の先人達がおりました。

今回の“あちこちぶらり”は、この知多の産業を盛り上げた江戸期の尾州廻船の人達が、遭難し、海外に渡り、海外の文化に触れ、その名を今に残していることを取り上げてみたいと思います。
また、昨年と今年は、半島の伊勢湾側で30〜60年に一度しか咲かないといわれる海外からの渡来花、「リュウゼツラン(竜舌蘭)」が多屋海岸や長浦海岸(出光石油構内)で咲きました。メキシコ原産の植物が渡来し、知多半島で開花したわけです。異国の地で見事に根を降ろした「竜舌蘭」もそれこそ、知多半島と海外交流のひとつの形だと言えるのではないでしょうか。



@  にっぽん音吉漂流の記

1832年11月3日、小野浦湊を出航した
1,500石(150トン)積みの宝順丸は、米や陶器を積み、中継港鳥羽の湊に入港し、難所の遠州灘を一気に乗り切るべく、天候を見計らい、江戸に向け出航しました。 ところが、宝順丸はそのまま消息不明となったのです。

  
この物語については美浜町のホームページに詳しく掲載されています。是非、一読してください。

  美浜町役場公式ページ

美浜町図書館の2Fにある音吉が遭難した時の写真用絵巻


同じく図書館にある音吉の肖像画

「小野浦館」近くにある音吉久吉岩吉(3人を総称して三吉とも)

三人の頌徳(しょうとく=徳をほめたたえること)記念碑
 

 
遭難1年後に建てられた 宝順丸乗組員14名の墓


1994年にスタートした美浜町の草の根国際交流は、音吉らの活躍の舞台となったアメリカワシントン州、イギリス、シンガポールの3カ国と美浜町を結び、毎年のように実施されています。
昨年開催された“愛・地球博”のフレンドシップ事業においても草の根国際交流の一環としてシンガポール学校交流とホームステイ体験を実施しました。今や夏の一大イベントとなった“にっぽん音吉トライアスロン”も今年で15回となり年々盛況になっております。
しかしながら、なんと言っても、現存する最古の和訳聖書(ギュツラフ訳の「ヨハネ伝」「ヨハネ書簡」)が知多半島の人の手によるものということは大変興味深く、また意義のある業績ではないでしょうか。


   参考にしたい図書   三浦綾子『海嶺
   聖書の和訳について 
駐日ポーランド大使館

A バタン島漂流記(大野編)

音吉ら三吉と宝順丸ほど有名ではありませんが、知多半島の常滑にも漂流記が残されていました。

愛知県常滑市大野町の千石船が、1668年江戸からの帰り路に遭難し、約1ヶ月漂流した後、フィリピン北部のバタン島に漂着したというのです。

あらすじ
15人の船員は土人に船を壊され、すべてのものを略奪され、奴隷としてこき使われる。年寄りの2人は働きが悪いので殺され、1人は材木で肋骨を打ち死んだ。そんな中、なんとか母国に帰れないものかと考えた。この国では金属類が貴重なものであったので、一旦日本に帰って金銀銅、鉄類を沢山持って帰って来るので船を造りたいと土人に嘘をつき、
半年がかりで小船を造りあげたのだ。
     …

さて、その後彼らはどうなったのか、

この命がけの冒険を末の世に残そうと書き記したのがこの物語であり、文献や資料を取り寄せて現代の私たちに知らしめてくれたのが常滑市在住の小島氏です。お会いしてお話を伺いました。(2006.8.29)

   詳しくは
   常滑市民のつくるホームページ  バタン島漂流記
   知多半島ケーブルネットワーク 番組 とこなめ歴史発見(8月、9月)をご覧ください。


    


@ 昨年開花した多屋海岸のリュウゼツラン

常滑市のちょうど真ん中あたりに位置し、古くから「海泉(かいせん)」と親しまれてきた多屋浜海岸。ここに、はるかかなたのメキシコからやって来て
60年経ってからやっと花を咲かせるリュウゼツラン(竜舌蘭)が、新芽を出しているということを耳にしたので探しに出掛けました。(2006.8.24)

幾種類の海浜植物が自生している砂浜は、常滑観光協会多屋支部多屋海岸を守る会H16年7月創立)の皆さんが守っていますが、昨年7月、32年前から毎年観察してきた斎田さんによりリュウゼツランの開花を確認しました。



   

朽れ果てた中から、かわいい新芽が伸びていました。


     

    


2006.8.24
 



A 今年開花した長浦海岸の出光興産(株)構内のリュウゼツラン

担当の方は「4月ごろから花茎がグングン延び始め、それで初めてリュウゼツランと気付いた」とのことです。
成長した花茎は6、7メートルになり、黄色い花を咲かせました。
根元にはもう数本新芽が出ていました。

  
リュウゼツランとは葉が竜の舌の形をしているからだとか。詳細は Wikipedia を参照してください。

2006.8.29
見学
リュウゼツランの花の写真左右端2枚は出光興産(株)小島氏提供


          あちこちぶらりの一言

セントレアが開港し、知多半島の人々は海外を身近に感じることができるようになりました。しかし、先人たちが残した知多半島の文化や歴史、産業も是非、世界に羽ばたいてもらいたいものです。

また、どのようにして根付いたのか詳細は不明ですが、異国の地で見事に根を降ろした「リュウゼツラン」も海外交流のひとつの形なのだと思います

今度、これらの苗が生長し、開花するときには、私は別の世界にいることでしょうが、『頑張って花を咲かせてね。それまで浜がきれいでいられるのをしっかり見守っていてね。』と願わずにはいられませんでした。


                   

    
2006年 9月 − 海外交流
2006年 7・8月 − 夏の南知多
2006年 6月 − セントレア展望
2006年 5月 − 里山を歩く

2006年 4月 − 知多半島の桜   − 地図★@

2006年 3月 − 佐布里池の梅 (知多市) 
 

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