幸せ家族の幸せな老後研究

 - 100歳現役への道 -

常に自他の「幸せな暮らし」をイメージする

・ピンピンコロリのイメージ
・一日でも長く自宅で快適に好きなことをして過ごし、楽しい一日を送ること
・長男も二男も仕事を続け、できればその妻や子供たちもできる限り今の生活を続けられること
・子や孫、兄弟たち、ご近所さんとの自然で幸せな関わりを続けられること…

※骨折、重度の痴呆やがんなどの病気でもないのに安易に病院に入院させてもらうことはできません。
 介護施設に行くとしても経済的なこと、も考えざるをえません。


ヨーロッパのアンチエイジング学会まとめ 22か条  ⇒少しまとめ5つにしました】より


1) 人生100歳精神
    年老いを前向きにとらえ、
    生きるという意志を持ち、生きることへの意義を感じる。
2) 神に感謝
   神への帰依の精神、信仰や価値観の伝統を受け継ぐ。
    神棚や仏壇、お墓をなどをとおして家族が一つになれるサンクチュアリの場所と時間を大切にする。
3) よい生活習慣
    安定した1日のサイクル、安定した生活のリズムをもつ。
    適度な全身運動または歩き、家事などで全身を使い、刺激を受け脳を使う。
    満足のゆくよい睡眠(6〜8時間程度)
4) 愛し愛される
    親密な家族との生活がある。愛情・友情をもつ。
    社会的なつながりに対して積極的である。
    若いころからの恋愛を大切にする。
5) 自主自立、自律、プラス志向、陽気暮らし
    順応性(適応能力)をもつ。 よい精神状態を保つ。前向きな姿勢、活動的である。
    ストレスや悩みをかかえず、ストレスへの対応力がある。
    自己決断力、自由な意志がある。高い教育、教養を有する。

1)体調の異変の究明の仕方と、日常生活の変え方
・最初の異変のとらえ方に時間がかかった。
・父が内科の病気ではないというので、これを機に鍼灸院に通って冷え体質を改善し、同居を始めれば落ちついでくれるのでは、と思ってしまったほど。前から家族が体験し、薦めていた鍼灸院に初めて通院し、基礎体温を上げ血液の循環をよくしてもらおうと思った。
・徐々に体調が悪くなってきたため、1週間後に一人で整形外科に行ってもらい、「胸椎と腰椎2か所の圧迫骨折」と診断されるも、本人は意外にもしっかり病名が把握できずに帰ってきてしまった。
・再度父と長男の妻とで病院に行き、病名を確認。一緒にネットでも調べ、約2か月で治癒という目標を持った。
・長引く病気の原因は様々。
痴呆、脳梗塞、がん、…信頼できるホームドクターがいてくれると安心です。
科が違ってもいくらかのアドバイスがあるかもしれません。(内科は一時自宅から近いところに紹介上持参のうえ変わりましたが、年明けから、やはり10年来お世話になっているドクターに戻してもらうことにしました。)
・友人知人からの情報も大切です。
・図書館で本を借りました。
・それらを多いに参考にして、今は「圧迫骨折」⇒「骨粗鬆症」は治る。
どんどん「」を「変えて」、希望を持って、根本から「治して」もらおうと思っています。

  ⇒ ★ 今、心身を病んでいる人は「神に選ばれた人」です(Word)

  ⇒ ★ 圧迫骨折と骨粗しょう症、骨強化の8つのキーワード(Word)

  ⇒ ★ 自分で治す「冷え性」、10のルール(Word)


■2)在宅の場合の介護用品

■3)病状のすすみぐあいと一般的な予測

■4)介護保険等の活用の仕方

■5)様々な介護関連施設と活用の仕方

■6)ちょっと先をいく介護情報

認知症最新情報
・急増-200万人超
・介護者の笑顔

具体的なテクニック
1.センタリング(精神の集中)
2.事実に基づいた言葉を使う
3.本人の言うことを繰り返す
4.極端な表現を使う
5.反対のことを想像する
6.過去に一緒に戻る
7.真心をこめてアイコンタクトをする
8.あいまいな表現を使う
9.はっきりとした低い優しい声で話す
10.相手の動きや感情に合わせる
11.満たされていない欲求に目を向ける
12.好きな感覚を用いる
13.ふれる
14.音楽を使う
(NHK「生活ほっとモーニング」より)

・バリデーション
  NHK試してガッテン 
■7)大まかな日常生活の変化 - 圧迫骨折・骨粗しょう症の場合
(2009/1〜)
・ほとんど役に立てなかった携帯電話の機種変更を一緒に店頭に行って行い、時々電話のかけ方と緊急ブザー(メールによる位置送信あり)の使い方を練習。
(2009/
11/16【月】
・異変があり父の携帯電話から長男の携帯電話に連絡が入る。
・(翌日から〜約2週間)8回  お勧めの鍼灸院に通院。本人は接骨院にも行きたいと言ったが、最寄りの評判のよい医院と連絡がとれず結果、行かなくてよかった。圧迫骨折だったため、揉む治療は控えておいてよかった。)
連絡に携帯電話を活用。
11/17 ・大根とりんごのすりおろし器をフードプロセッサに変えた。
11/21【土】 ・ しっかりしていたので一人で整形外科にかかり、冷やす湿布薬とコルセットと飲み薬を処方されたが…。
11/22〜23【連休中】 ・一番の峠、どうなっていくのか不安にかられ、転院・入院・精検も視野に。
二男夫婦と相談。昨夜と違い嘘のように落ち着いていたので自宅で様子をみることに。
11/24【火】 ・再度整形外科にかかり、診断名は腰椎1か所と胸椎1か所、2か所の圧迫骨折と判明。
本人と一緒にインターネットで大まかな治療経過を把握。
痛むので新たに座薬を追加処方。
・待ち時間の間に役所、福祉課へ。介護保険を利用するための介護認定の手続きに入る。
11/25【水】 ・地域包括センターより初めてのケアマネージャーさんの派遣、介護認定のための面接調査。⇒要介護支援1になるだろうとのこと。
・寝起きの様子から家族が電動ベッドの手配を強く希望。本人は寝たきりになるのを不安がった。
11/26【木】  ・病名が圧迫骨折のため、ケアマネさんより「介護保険は適用できない」との連絡があり、自費にて電動式ベッドをレンタルすることに。当初の予定より安く、月額3000円×最短でも3か月間のレンタルとなった。
・蒲団がずり落ちないように金属棒と軍手を工夫した安全棒を取り付ける。(後に体を支えるのに好都合となった。)
※予備知識として電動ベッド類は日進月歩しているので絶対レンタルがおすすめとのアドバイスがあった。後に友人より中古情報も入りました。
11/30【月】 ・トイレで腰抜け状態・綿菓子が膨らんだような感覚になり「もうだめだ〜」と初めて弱気な言葉が。(多分急激に筋力が落ちたため)。これはケアマネさんに報告。
・トイレ用品は原則として買い取りのため、保険をあてにせず購入することに。
・初めて近くの介護用品店と必要と思われる介護用品を探す。
・すでにパンツにセットする尿漏れ吸収パッドを利用していることを知る。
・ネットで事前調査したベッドサイドに取り付け可能な尿瓶(しびん)を探すが、お店では購入できずネットで購入。
・工夫してセットするも、年末には箱に尿瓶を入れて自らしまってしまった。
(12月下旬) ・もうすぐ車検を迎え、やめる、といっていた自動車の運転免許証の更新をあと1年だけ伸ばす手続きに。
※父の先輩方より、お守りとして更新できるならしておいたほうがいい、とのアドバイスをもらった。取りたくない人は取らなくてもよい。乗りたくなければ乗らなければよい。
・介護認定書が郵送された。(要介護支援1【例:常滑市介護保険サービス一覧】)
・例年通りのお正月を過ごす。
(2010/1/〜) 痛み止め等、整形外科からもらった薬や座薬を自身の判断で減らしていたが、規定通りの使用量に戻す。
・(1/12)異変を感じてより2か月が経過。スパズムと言われる筋肉痛が腰を中心に変化し、長時間立っているのが苦痛。不安感が強くなってきた。
夜中のトイレは時々尿瓶を活用。⇒予備として2個目を購入
1/16 ・朝珍しく起きるのが遅いので、予定を早めて整形外科へ。・長男妻とちょうど見舞に来てくれた二男がつきそって整形外科に行く。先生より「寝たきりにならないで、病気に負けないで」との励ましの言葉。
1/17 ワイヤレスチャイム(緊急ブザー用、見通し距離約50m、ネット等であまりよく調べず、近所の大型ホームセンターで3980円で購入。一応8種類の音が変えられる。防雨タイプのため風呂場等にも増設可能)ベッドに設置。
・(1/19)朝着替えのために初めてワイヤレスチャイムが鳴る。
※携帯電話と連動するものもあります。
1/22 ・地域包括センターよりケアマネージャーさんの第2回面接調査。
・朝、「8時〜11時」までヘルパーさんに来てほしい」というリクエストはあるものの、送迎付きのデイサービスなどは希望せず。⇒介護保険対象商品カタログをもらいやっと、商品ジャンルを把握
1/24 ・天気がよく暖かい日となった。二男の家族と合わせて5人で昼食、訪ねてみたいところがあり、美浜方面に外出。日光を浴び、よく歩いた。それほど痛そうな表情はなく、楽しんでくれた。
1/27 ・その後、日常の痛みが増している。
日曜日の夜、座薬を止めたためか、月曜日の朝痛みがきつそうだが、本人は「効き目があるのだかないのだか」という。これは図書館でわかりやすい図説つきの本を見てもらって、「体に優しいから座薬もなくなるまでは続けようね」と約束する。
・「痛みで何もできない」という。家事を減らしてもらうことにする。重いものを持つのも禁止。
・いよいよ運転免許の更新のための講座受講日。⇒後日新免許証発行
1/29 ・地域包括センターよりケアマネージャーさんにこちらから依頼しての第3回訪問。
・朝9時〜1時間 2回のホームヘルプ希望と介護認定の見直し(夜間のトイレ、朝の着替え、足の爪切り、洗髪が思うようにできなくなったため)を依頼
1/30 ケアマネージャー・ヘルパーさんとの訪問打合せ。
知多半島の温泉で温泉療法、ホットパックによる冷え対策治療開始
このところ痛みが増しているようなので、コルセットをすすめる。
2/1〜 週2回のホームヘルパー派遣を依頼
2/3 ・整形外科へ。最も恐れていたこと(第二、第三腰椎の圧迫骨折が進んでいた)がおこっていた。第一腰椎と第九胸椎は癒合。入院の説明もあった。
2/5 ・朝から入院の話。とうとうお昼に携帯から携帯に入院したいとの電話。無理をさせてしまったようだ。
・父と相談後、先に整形外科に行き入院の相談。空き部屋の都合上、土曜日の午前中となった。
・12日に第3回介護認定度の面接調査をしていただくことになっていたが、延期となった。
2/6〜 ・入院。安静・理学療法中。リハビリも。激痛が走って食事ができない日もあった。
・好きな果物や骨によさそうなものの持込。(冷え性対策として少し注意をすることに)
・ラジオの持込。
3/11、3/13 第3回介護認定度の面接調査
・仮退院(夜、びっくりするような発作?痛み?)、退院。
3/14 ・日曜日の夜、救急車のお世話に。今度は顔まわりの激痛。強い電流をながされたような痛みが原因だったが、運よく脳神経外科の先生に診断していただき、あっけなく「三叉神経痛」と判明。薬による治療を続けることに。
3/15〜 以前と変わったこと
・眠気を促す薬を服用中のため車の運転を止めている。通院は家族の車やタクシーで。
・生活のリズムを整えるため、しばらく食事を作らず、朝食は家族と一緒に。
昼食と夕食はお弁当の配達サービスに変えた。偏食をなおし、できるかぎりいろいろなものを口にしてもらいたいと思っている。もちろん今まで好きだったものも極力食べてもらっている。
5/6〜 ・連休中に長男が助手席に乗り、車の運転について確認後運転再開。
・土、日曜日の夜を2家族で交代する準備開始
・土、日曜日の夜は二男の家で過ごす案が浮上
・杖がわりに軽い手押し車を自力で購入。自分で車に載せられ、荷物も運べる。
・体調が良い日は自分で運転し、パンとチーズを持参して月1回のデイサービスに出かける。
7/ 〜 ・ヘルパーさん不要とのこと、日曜日の昼の食事の支度再開。(まず、本人の希望を受け止める)
結果的にはあまり好転しておらず、お弁当のキャンセルは断念。ヘルパーさんには今まで通り週3回お世話になる。
第4回介護認定度の面接調査-要支援2
9/18・19 ・圧迫骨折後初めて二男の家にて一泊(日常生活にベッドと椅子は必要不可欠のためソファベッドを活用)。連続2回終末に宿泊。
・月間スケジュール用ホワイトボードを活用。スケジュールがわかりやすくした。
9/〜 ・送迎つきの無料デイサービスを体験
・お風呂グッズ、玄関の段差解消と風呂やトイレの手すりを検討
10/〜 ・週2回のデイサービスを活用
・リフォーム1日弱で完了。(見積約16万円)
・週末を二男の家で過ごす。
特養と老健の違い 老健は「介護老人保健施設」の略称
・原則3ヶ月を限度に受入れ。@施設入所サービス(ロングステイ)A短期入所療養介護(ショートステイ)B通所リハビリテーション(デイ・ケア)
・治療や入院の必要が無く、マヒやけがの症状が安定した高齢者を原則3ヶ月を限度に受け入れ、自宅での生活を可能にするためのリハビリテーションを行う施設
・特別養護老人ホームとの大きな違いは、帰宅を目標にしているという点
・現状では病院と在宅ではなく、病院と介護施設、病院の中間施設となっている場合や、例外規定もあり、特養と同じような感じになってしまっている施設もある

特養は介護老人福祉施設
・入所期間に制限は無い。@入浴、排泄、食事等の介護A機能訓練B健康の管理C療養上の世話
・生活の場であり、人生の終焉の場
・要介護度の高い人から入ることが多く、順番待ちしていても要介護度が低いとなかなか入れない

今日までに気づいたのは、介護器具や生活の仕方について少しでも早めに対処・準備をしておくこと。調子が崩れ出すと加速度を増して悪くなっていきそうです。

このページを作るにあたって

大正に生まれ、十数年年間一人暮らしだった父と
長男である私たち50代の夫婦、その子ども二人は「一応」遠方にて独立。
父にとっての二男は40代、車で15分くらいのところに住むも、まだまだ子育て世代。

私たちの末子が8月に終わった資格試験の結果発表を待ち、まだ就職直前の
11月半ばにその父が体調を崩し、
昼間に夫(長男)の携帯電話に連絡をしてきてくれたので、早めに仕事(自営)を切り上げて行ってみると、
初めて「今夜からこっちに泊ってくれないか」という。(もちろんそのつもりだった。)

実は2月に一度同居を試みるも、1か月だけのお試し同居となってしまい、頓挫していた。
暑い8月を目標にし、会うたびに「体がきつくなってきた」という言葉が口をついていた。
もとうとう来るべき日が来た〜

末子はこれを機に、今まで暮らした家で一人暮らし本番。
11月下旬には試験に合格、
12月上旬には一年前に内定していたところに晴れて就職させていただくこととなった。
通勤には今まで暮らした家のほうが好都合。

私たちといえば、核家族の気楽さを満喫しつつも、その脆さを体感し、老親の一人暮らしを案じていたところだった。
ただ、父のこの年代の人たち、父の価値観や生活習慣などの個性と家族として協調していけるのか…、
人生の晩年に父は人(男親)としてどんな心境の変化があったのか…

とにもかくにも、「幸せ研究所」で学んだことを「実践」するときがきた。
私自身も晩年には子どもたち誰かの家族のそばで、少し迷惑もかけながら老衰で家の畳の上で逝くのを理想としている。
これは、私の実家の曾祖父(92才で没)、祖母(78才〃)祖父(96才〃)、嫁ぎ先の祖父(80才〃)祖母(82才〃)の老後の暮らしと大往生の体験に基づいている。
人生は「恩の送り返し愛」なのだ。老病死は「気づき・学び」の場なのだ。

でも、本当に想いどおりに心がついてくるのだろうか…、相手の心もあるのだ…。
やっていけるのだろうか…心ひきしまる思いがした。

在宅介護」に関する情報を整理整頓しておきこれからの父のため、そして少しでも自分の家族やどなたかのお役にたてればと思う。
                                  2010.1.19