raの日記
■ 生と死のさかい
東北の現状を見て感じたこと


  確かに現状は大変な状況でした。でも、阪神大震災のときと明らかにいくつかの違いを感じました。
  まず、漂っている空気が違います。家屋の壊れ方など、阪神の方がすごいものがありました。きっと揺れがひどかったからでしょう。私は、阪神のとき家を壊れた家を見るなり、家のきしんだ悲しみ、持ち主の悲しみのようなものを感じて、キューッと胸が痛んだような記憶があります。
  今回の震災は、津波の被害が大だからか、被害規模は大なのですが、あきらめというかよくもまあここまで・・・という感じです。


人間の限界を思い知りました

町の中には、頑丈なビルやマンションがありました。自然のちょっとした丘よりも頑丈そうで高い建物もありましたが、みんな軒並みやられていました。大地だと思っていた地盤は、人工の埋立地、液状かも含めてグラグラで礫を片付けていました。
 ガードレール、器物、流木など片付けていました。
  平らの空き地のように見えますが、元宅地です。

市内の様子

  陸前高田市に入りました。南三陸町と同じように市の大部分が水没し、市役所も流されてしまった町です。損壊範囲は、南三陸町よりさらに広く、被害甚大です。
  違いといえば、ブルドーザーやクレーン車が入り、土地がかなり平らになっていることです。
 

市内 東から西へ


  見渡す限り、平らにされた工事現場のように見えますが、これはすでにブルドーザーで処理されたからです。住宅地であったわけですが、損壊が激しくて手作業中止、もうブルを使って整地がはじまっていました。

 市民の半数近くが行方不明、市職員も1/4が亡くなり、ほとんどの家庭が被害を受けながら復旧を行っているとのことです。


 町中から抜け出し、避難所に向かう途中です。ボランティアグループが作業していたので声をかけました。
 ここから右へ入ると、学校(避難所)になっていました。
 

 東京から来たボランティアグループで、左の方は、キリスト教会の牧師さんでした。
「こんなひどい状況で、手で作業してこれがどれだけ役に立つんだと思ったりもするんです。」と女性の方がいわれました。
  男性の牧師さんがにこやかに 「万里の長城も人の手でつくったんです。ここだって、できないことはありません」と言われました。妙に納得しました。自分自身、焼け石に水みたいな気分になっていたものですから・・・


 被災しているところから、2kmも車を使って緩やかな坂道を登ると、沿道に桜が咲いていました。
  家々も、あまり被害が見受けられない、変わりがない。
  ゆれは大きかったけれど、家屋を壊すような揺れは、それほどではなかったようにも見受けられます。2kmの違いで、別世界があるのは不思議な気がしました。この落差をどう考えたらいいのでしょう。

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