空港アクセス道路もいよいよ工事が始まりそうな気配になってきました。
この道路計画が発表された当初から多くの疑問点が市民から指摘されてきました。
市街地を通過する高速道路

道路公害は多くの問題点が裁判などでも指摘され、社会の流れは堀割から地下式などへの
計画変更の方向へ向かいつつある中での掘割道路計画。

市の姿や市民の生活が大きく左右される空港アクセス道路。
あらためて皆さんでもう一度考えてみませんか。
何より良く知ることが大切だと思います。
そのうえで何か出来ることが見つかるかもしれません。


  
常滑市役所のロビーにお目見えした模型(なんと600万円) 
         
1.) どうして現計画の曲げられたルートに決定されたのか?
2.) どうして高架構造計画から掘割構造へ変更されたのか?
3.) 環境保全対策は十分考えられているのか?

    

以上の3点に分けて、現段階で知りえた情報をもとに考えていきたいと思います。



以下の地図を参考にしてください。

青色の浜田線は現在利用中の道路です。

桃色は浜田線直進ルートです。

   
常滑市建設部 0569-35-5111より


 ルート公表までの流れ

年月日 愛知県・国 常滑市 情報公開からの資料 参考
元年
3/22
常滑沖に空港の建設が合意される  
 
 
4年度・5年度  
 
アクセス道路の概略設計される 概略設計の結果(A)浜田線上を高架で通過(B)北条向山線上を高架で通過の2ルート案を検討した結果浜田線上(A)が有力とした。
4年
11/21〜12/5
 
新空港に関する説明会  
アクセスはなるべく人の住んでいないところを通過して欲しいとの要望
5年
8月
 
アクセス道路の市内経由を提案  
提案ルート
知多半島道路→知多半島横断道路→北条向山線延伸部→新空港 (構造は高架)
5年
12月
 
 
 
常滑商工会議所「フェニックスプラン」を発表
海上ルートを提唱。市街地部分はすべて地下道方式を提案。
6年
4月
 
常滑市地域整備基本計画(案)を発表  
北条向山線を基本に高規格自動車専用道路として整備
7年
2/14
 
中部新空港知多区連絡協議会が開催される  
住民に悪影響が出ないよう空港につながる道路や鉄道は市街地を避けてと要望することを決める。※協議会は知多5市5町の首長で構成
7年
4/27
平成7年度道路改築工事の内、設計業務始まる  
浜田線直進(幅員64m)ルートの線形設計される。「ルートは浜田線が有力」「構造は高架」「環境施設帯20mを確保」「インター以西市街地以遠を6車線」「名鉄は高架軌道化を仮定」として設計  
8年
3月
 
「とこなめ21世紀計画」を発表  
アクセス道路については国道155号線・247号線を基本(北部空港連絡道路<仮称>に接続)に空港関係機関とともに整備する。
8年
11月
新空港に関する説明会(4会場) 左記の内、3会場は市も共催  
「基本的には市街地を避けて整備していきたいと考えている」と航空対策局計画課課長が発言。
9年
4/8〜4/30
新空港に関する説明会(5市5町で32会場)  
 
「ルート・構造はこれから」
「ルートは市と相談の上調整する」
「アクセスは北ルートを考えている。現在調査中」など、県の回答あり。
9年6月  
脇田口ミニ開発の造成(口答で説明を受けた)  
 
9年
8/28
平成9年度道路改築の内設計業務始まる。  
浜田線直進ルートを変更、浜田線を北にふった概略設計をする。 平成9年度には、現ルート幅員45m高架構造での概略設計および費用の算出がされた。(他ルートとの費用比較)海岸から常滑東IC<仮称>まで
浜田線拡幅案     38893百万円
浜田線北側ルート案 33812 〃
北条向山線拡幅案  35334 〃
北条向山線利用案  34094 〃
10年
3月
 
アクセス道路ルート500m幅で発表
(広報とこなめ3月号)
 
この時点で、浜田線北寄りルートの道路設計も概略費用も算出されている。
10年
6/10
知多横断道路の都市計画決定に関する概要説明会開催  
 
市民に初めて100m幅でのルート及び構造(高架)を説明。「今後100m幅の中で道路の中心線を決定する。」と発言。
市民からトンネル構造の提案続出。
11年1/19〜23  
常滑市地元説明会(3会議場)  
道路幅55mが初めて示された


多くの市民からアクセスはなるべく人の住んでいないところを通して欲しい。県側も基本的に市街地を避けて整備していきたいと発言していた。
なぜ、通過するだけの自動車専用高速道路を市長は市内経由を強く要望したのでしょう(5年8月)。果たして、市長が言う「多くの空港利用者が常滑市に寄ってくれるように」というのは真意でしょうか。

なぜ北条向山線ではなく浜田線直進の改革案(H.9.6まで)、さらにその後浜田線直進ではなく北にふられた曲がったルートになったのでしょう。
平成6年4月発表の市の地域整備基本計画方針案や平成8年3月発表の21世紀計画では、「北条向山線延伸部から新空港へ」としています。当然市民は北条向山線上にルートを想定していました。

しかし、情報公開資料によるとすでに平成5年、7年には浜田線直進のルートを結論づけていました。その後、平成9年8月からは現在の曲げられたルートの概略設計がされました。県は曲げた理由の一つとして、脇田口のミニ開発が進行中であり、ここを避けるため検討していたら、どなたかが現計画の曲がったルートに気がつき、まっすぐより曲がったほうが民家が少なくて済むとして計画案の変更になったと説明しました。H.9.6/18以降たったの1〜2ケ月で計画案の変更業務に入り、道路は多屋土地区画整理事業の中に入り込んだ曲げられた現在の道路計画になりました。

多屋土地区画整理事業は千年もの歴史を持つ海椙神社の鎮守の森をも壊すのです。

                   参考ページ 
鎮守の森がなくなり82億円の税金投入

     
     すべて多屋土地区画整理事業につながっている?

一番感じたことは、情報公開などで今になって解ったことですが市民などへ公表される時点では”これからいろいろな方面からの意見を聞き調整の上決定される”と提案の形を取られるのですが、ほとんどの場合、すでに決定され準備も進んでいるということです。
現在、公共事業をすすめるにあたっては早い段階での情報公開、また市民や住民との意見交換を頻繁に行い、共に作りあげようという形に変わってきています。
残念ながらバス代行問題、アクセス道路問題にしてもまったく共にという形は見えてきません。従来道理、市民は蚊帳の外という感がぬぐえません。

いかに市民側からも行政や事業主に働きかけていくかが大切になっていくのではないでしょうか。



次回はどうして高架構造計画から堀割構造になったのか。を考えてみたいと思います。
ぜひ、皆さんのご意見・情報等を掲示板やメールでお知らせください。



chitaクリックレポート 2002.6.10UP